日本被団協のノーベル平和賞受賞を契機に、抜け落ちた人びとにも思いを馳せよう - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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日本被団協のノーベル平和賞受賞を契機に、抜け落ちた人びとにも思いを馳せよう

【投稿日】2024年12月3日(火)

 さる10月11日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞した。日本被団協は、1954年のアメリカによるビキニ環礁での水爆実験を機に広がった原水爆禁止運動の中で、1956年に被爆者の全国組織として長崎で結成された。以降、各都道府県でも被団協が結成され、①核兵器廃絶と原爆被害への国家補償要求②日本政府、国連、諸国政府への要請行動③核兵器の廃棄、撤去、核兵器廃絶国際条約の締結④国際会議の開催、非核法の制定、原爆被爆者援護法の国家補償の法律への改正⑤被爆者対策の充実、被爆の実相の国内外への普及活動⑥原爆被害の調査・研究、出版、展示、集会、代表派遣⑦被爆者の相談・援護活動、などを行っている。
 今回、西側諸国の価値観に偏る傾向の強いとされるノーベル平和賞が、アメリカによる民間人大量虐殺の被害者たちに授与されたのは画期的であったといえる。
 受賞の理由を日本被団協が出された声明(10月28日)では、「80年前に原子爆弾の非人道的な被害を受け、自分たちと同じ苦しみを地球上のだれにも味わわせてはならないと、今日まで一貫して核兵器の使用禁止、廃絶を求めて、自らの苦しい体験の証言を通して訴え続けてきた活動と被爆者一人ひとりの働きが高く評価された」からだとし、ノーベル平和賞委員会が「今日、核兵器が使用されかねない国際情勢のもと、核兵器は使われてはならないという規範『核のタブー』が危機に瀕し始めたことを世界に知らしめるべく、『日本被団協』に授与したことの意義を強調して」いると分析している。
 さて、日本被団協の受賞は大きく日本のメディアで取り上げられたが、その論調のすべてが「日本のノーベル平和賞受賞は1974年の佐藤栄作氏以来」と言いながら「日本の受賞」と位置づけていることに違和感を感じる。受賞したのは被爆者であり、アメリカの原爆投下の原因をつくった日本ではない。そして、何よりも被爆者の10人に1人が朝鮮人だった事実が抜け落ちている。広島ではおよそ5万人の朝鮮人が被爆、うち3万人が死亡、長崎では2万人の朝鮮人が被爆、うち1万人が死亡したと言われている。当時、広島・長崎にこれほどの朝鮮人が暮らしていたのは、日本による朝鮮植民地支配政策が背景にあり、軍需工場などに徴用されたものも多かった。帝国臣民として被爆し、朝鮮半島に帰った朝鮮人たちは、戦後は外国人であるとしてすぐには補償が受けられなかった。日本政府は1957年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」、1968年に「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」を制定し、医療費と援護手当を被爆者に支給したが、対象を日本国内の居住者に限定した。日本が2つの法律を統合した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」を改正し、日本国外に居住する被爆者が日本の在外公館を通じて援護手当を申請できるようになったのは、2008年になってからだった。しかし、国交関係の無い朝鮮民主主義人民共和国に存在する被爆者は未だにその対象となっていない。
 今回の日本被団協の受賞を契機に、そこから抜け落ちた人びとに思いを馳せる契機としたい。そして、幸いなことに11月10日にオスロで開かれた授賞式に、韓国原爆被害者協議会のチョン・ウォンスル会長と原爆被害2世のイ・テジェ韓国原爆被害者子孫会会長が参加された。被爆当事者達はわかっているのである。(高)