【投稿日】2022年9月26日(月)
7月23日、総合生涯学習センター(大阪市)において、「第36回KMJ研究夏期セミナー」を開催した。「変容する祭祀と在日コリアン女性」をテーマに、同志社大学や大阪経済大学で講師を勤める李裕淑さんにお話しいただいた。当日はコロナ禍ではあったが、15名のKMJ会員が参加した。
【講演要旨】
韓国・朝鮮の伝統的習慣である「忌祭祀」。個人の忌日に大祥(テサン、三回忌のこと)を行った一年後から毎年忌日の前日から忌日にかけて行う祭祀をいう。忌日の子時(23時から1時)に始まり鶏のなく前に終わるのが原則とされていた。その思想的背景は、朝鮮王朝時代に仏教に代わり社会秩序の基礎になった儒教であり、「朱子家礼」が家庭儀式の典範になった。朱子家礼は 中国南宋時代に成立した礼儀作法の書、通礼、冠礼、昏(婚)礼、喪礼、祭礼の5章より成る。
そこで最も大切にされた考えの一つが「孝」である。「祭祀」には①亡くなった人が祖先の地位を獲得する通過儀礼②定期的に祖先を祀り飲食を接待する、という二重の意味を備えている。その場で子孫は御馳走を準備して「孝」を尽くす儀礼であり、祖先と相互に疎通する場である。儒教は人間が死んだ後、この世と完全に断絶してしまうのではなく「魂魄」というまた違う形態で子孫と交流が可能だと考える。そして祖先は子孫の捧げる供物を食してのみ生き続けると考えられていた。論語には自分の食事は粗末にしても「孝を鬼神に致す」(泰伯)という言葉があり、祖先や神を祭るにはできるだけのご馳走をする、ということがある。この孝は饗食の意味であって、それが孝の原義であると考えられる。祭祀には必ず供える飲食が必要で、それを精一杯準備するのが孝である。その祭祀に供える飲食を準備するのは女性たちである。まずここにジェンダーの問題がある。
在日コリアンにとっての祭祀
祭祀を執り行う空間は自分の血の繋がった祖先と共に過ごす場であり、そこは故郷と繋がった場であった。その場は血族が集まる特別な場であり、自分たちのアイデンティティを再認識する場であり、子孫に祖先を認識させ、自分たちの血筋を確認させる教育の場でもあった。また、儒教的な年功序列や「孝」の教育の場でもあった。また、祭祀儀礼を取り扱う男性と裏方の女性とのジェンダーロールを植え付ける場でもあった。孝を尽くすと同時に自分もいずれ祖霊となり、子孫に祭祀をしてもらい、血族が続き繁栄の継続を意味するものでもあった。そして情報交換の場も祭祀であり、相互扶助の役割もあった。
祭祀のジェンダー問題
祭祀は血統の続いた子孫(男子)が祭らなければならない。儒教祭祀においては子孫のないことは不幸の最たるものである。ゆえに「七出」といって妻に対する離婚の理由たり得る七か条の規定が古くから伝わっているが、その中にも子がないこと及び舅姑に仕えないことの二か条が加えられている。もっとも「七出」には別に「三不去」という制約があるが、これは、①妻が舅姑の死に際して三年間の喪を成し遂げた場合、②娶るときは貧賤であったが、夫婦の努力によって後に富貴になった場合、③妻の帰るべき実家がないときのみである。このように女性の立場はとても弱いものである。
在日社会の家父長的で男尊女卑的な面の縮図が祭祀の場であるともいえる。
祭祀の今後
少子化や男子がいない家庭も増えており、世代も交代する中で、祭祀によって祖霊に家族の安寧を祈るという宗教的な側面を大切に考える人は少なくなった。現在は儒教的祭祀の簡略化した祭祀の形だけが継承され、その儒教的思想や「孝」の思想は受け継がれていない。そのため日本で行われている仏教的葬礼儀式や法事の形なども取り入れられ、在日コリアン独自の祭祀儀礼の形が生まれてきている。
在日コリアンたちが自分たちのライフスタイルに合わせた形が祭祀と呼べるかは疑問であるが、在日コリアンの世代や国籍の構成も変化していく中で、新しい形の祭祀や冠婚葬祭が行われるようになり、ネットワークや親族親睦の場も新しい形が作られていくと考えられる。