【投稿日】2014年12月23日(火)
2014年は歳末総選挙というイベントで幕を閉じた。そのことの意味合いはここでは触れない。だが、新聞やテレビを見ていてスッキリとした気持ちになれない人が圧倒的に多かったのではないだろうか。たとえ、自民党に投票した人だとしても、心底は自民党と公明党が大勝したことを心からよかった、と思う人は多数ではなかったのではないか。
「新自由主義」「グローバリズム」のなかで
マスコミが寄ってたかって民主党政権のこきおろしをし続け、また民主党もこの暗い世相のよってきたる由縁を明確にできないまま、強いられた選挙戦にのぞんでしまうことを余儀なくされた。その他の野党もまた、現代の日本の行き詰まり政治を根本的に批判できず、またそのような訴えをしなかった、というのが私の感想である。いわゆるアベノミクスとは、強欲な資本主義である「新自由主義」や世界を巨大資本の草狩場にしてやまない「グローバリズム」に乗っかかって、日本社会をかつてない戦争準備体制と格差、貧困を個人の責任にしてやまない政治を当たり前のこととしたのである。
「排外主義」「民族差別」を当たり前とする風潮
それにも増して、いやそのようなアベノミクスを推進するために、「美しい日本」だの「愛国心」などを持ち出して、人々の目くらましをすすめる排外主義と民族差別を当たり前のこととする風潮がこの日本社会を覆っている。この行く末はどうなるのか。 第一次世界大戦後のドイツでナチ党は当時の世界無比の民主的なワイマール憲法のもとで合法的にファシズムを支配的イデオロギーとすることに成功した。そしてユダヤ人狩りを徹底してあのアウシュビッツの大惨劇をもたらした。現在の日本も似たような状況にたっているのではないか、と思うのは私の僻目だろうか。
一縷の希望
11月の「在特会」に対する最高裁判所の上告棄却判決は一縷の希望をもたらしたかも知れない。少なからぬ在日の人々、そして在日の存在を共に生きる仲間として考えようとしてきた少なからぬ日本人はそう思ったであろう。その希望を無駄にせず、さらなる闘いを進める必要があるだろう。
闘いはこれからである
だが国家も権力者もしたたかである。これからは彼ら権力者は中立的な仲裁者のような顔をして、差別や排外主義の存在を公認しつつ、反差別、反排外主義への闘いを弱めようとしてくるだろう。また「在特会」に代表されるような行動と言論は根強く蔓延するだろう。議会で圧倒的多数を占めた与党の存在がそのような動きを加速する。とりわけ教育やマスコミの現場が修羅場になるだろう。「つくる会」系の教科書採用強要の拡がりとその内容の更なる「歴史の偽造」。それはもはや「歴史修正主義」どころの内容ではない。そして教育委員会の独立性抹殺。さらに「朝日叩き」をすれば儲かるという新聞、テレビ、出版業界の存在。
闘いは正念場を迎えている。覚悟を決めてこの一年を生き抜こう。