在日コリアン人権白書2014年版 編集作業をふりかえって - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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在日コリアン人権白書2014年版 編集作業をふりかえって

【投稿日】2015年2月10日(火)

ヘイトスピーチの顕在
 「在日コリアン人権白書」の編集に携わって3年目であるが、年々人権をめぐる状況が悪化しているのがよく分かる。今年の特徴としては、いちばんにヘイトスピーチがはっきりと顕在したことがあげられる。それまでも、インターネット内での在日コリアンの悪口、路上デモによる罵詈雑言はあったのだが、そういう動きが一部あるという認識でしかなかった。しかしここ一年でそれは看過できないほど量や回数が増えて行った。そしてやっと、それらの動きはヘイトスピーチという概念で定義され、流行語大賞の候補にあがるほど世間に流布するようになった。けっして流布されるべきことではないが、放置するのではなく積極的に抗議していかなければならないことだと認知されるきっかけにはなった。

判断基準の液状化
 もう一つ、この一年で気になったのは、橋下徹・大阪市長など政治家をはじめとする妄言の多さだった。誰も問うていないのに橋下市長が「慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」と述べ、国政では日本維新の会の中山成彬・衆院議員が「韓国女性 うそばかり」、広島法務局東広島支局の支局長が「フィリピン人はちゃらんぽらん」など、公人の人種差別発言が目立った。これだけでも白書として1冊できるのではないかというくらいだった。
 しかし、以前ならこのような妄言をした時点で、社会から非難を浴びて首がとんでいたが、なにごともなかったように政治家を続けている。このような明らかな人種差別発言でも言った本人はもちろん何が悪いのか分かってないが、聞いている側も何がおかしいのか分かっていないので、是認した状況になっている。お互い、人権に対する価値観が液状化して、言葉に対する判断や批判ができなくなっているのを感じた。そして価値基準がないのも不安だから、安易に決めつけをしては相手を攻撃する傾向が強まって、それがヘイトスピーチにつながっていった気がする。

人権の価値観の共有に向けて
 新聞などのマスコミの記事をみても、マイノリティーにとって知るべき重要な出来事でも記事が小さかったりするなど、掲載基準が揺らいでいるのを感じた。中立公正や、読者への迎合はあるかもしれないが、伝えるべきことは伝えなければならない。
 人権は誰しも与えられたものであり、かけがえのないものであるという人権に対する価値観が全体的に液状化してみえなくなったのがここ数年の傾向だった。歴史教育の欠如、情報の氾濫で伝わるべきことが伝わらないなど原因は複合的である。
 最近、ネットで左翼的な考えを述べると「ブサヨ」(「ぶさいくな左翼」の略)と呼んで、攻撃されて炎上することが頻繁に起きつつある。攻撃自体も嘆かわしいが、相手の意見が違うからといって「ブサヨ」などという見苦しい名称のレッテルまで貼るのは、相手を尊重するという発想のかけらもない。それが普通の状態になって、何を言ってもいいのだと、公人が堂々と差別発言をしても許される土壌を作り出してしまったのではないか。偏見や決めつけで攻撃する人々に対して、その決めつけが間違いだと指摘していくには、人権は侵すべきものではないという価値観をきちんと構築して、共有していくのを訴えていくしかない。
 そのための人権啓発活動が、ますます重要性を増し、正念場を迎える時期に差し掛かってきている。次の人権白書では、少しでも人権状況の改善を伝えることができるよう啓発にまい進したい。(KMJ事務局 宋柔京)