【投稿日】2020年8月27日(木)
暗愚下 コロナ焼き伏す 送り火かな
新型コロナウイルス感染が収束ままならず、拡大し続ける中で考えさせられるのが、その被害者性と加害者性である。いつ自分が感染させられるかもしれないという被害者意識と、自覚症状はないとしてもすでに自分は感染してはいないか、もしそうならば、これまでに他者に感染させたか、これから感染させるかも知れないという加害者意識である。及ばずながら小生も手洗い消毒マスク着用欠かさぬようになったが、この程度で終わる問題ではない。
人権を考えるとき、われわれは自分に降りかかる人権無視・否定のリスクに関しては極めて敏感に反応する(被害者意識)が、他者への人権無視・否定(加害者意識)に関してはかなり鈍感である。その典型と言えるフレーズが、為政者の「わたしの不用意な発言が、皆様に誤解を与えたとすれば、お詫び申し上げます」である。この言葉は、何もお詫びなどしていない。それどころか、「誤解」しているあなたに責任ありと言っているようなもので、加害者意識は実に乏しい。
だが、今回の新型コロナウイルスに関しては、この鈍感な意識は通用しない。いつ無意識に、他者に感染させる媒介的役割を自分がになっているかもしれないからである。
私が、いわゆる加害者性を意識し始めた契機は、アメリカのベトナム戦争とそれによりかかって繁栄した日本の高度経済成長体制だった。さらに部落差別をはじめとする諸々の差別問題との出会いだった。それらは、すべて社会の根幹にあって、われわれ人間の関係性から生まれている。
いま、新型コロナウイルスによる被害者意識が、感染防止の営みから外れて、感染者・偽感染者への新たな差別と排斥を招こうとしているのでは、と危ぶむ。(藤原史朗)