消された朝鮮人の名前 - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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消された朝鮮人の名前

【投稿日】2021年4月23日(金)

 日本の敗戦も間近だった1945年の3月中旬、日本の大都市の大部分は米軍の大空襲にさらされた。東京はもちろん大阪も例外ではなかった。その被爆をこうむった大阪在住の朝鮮人はどうしていたのだろうか。
 去る3月15日の毎日新聞(関西版)は次の事実を大きく伝えている。当時の在阪朝鮮人の人口は41万人、この数字は多すぎるようにも見えるが、釜山にも近く、済州島と大阪港との間には定期航路も開設されていたことを思いだせば不思議ではなかろう。そして大阪市近辺の軍需工場や民間企業で働いていた朝鮮人は猛烈な焼夷弾爆撃の被爆を受けてその犠牲となった。
 大阪の平和運動を祈念し、啓発活動にも取り組んでいる「ピースおおさか」ではこの大阪大空襲の記録と犠牲者の追悼のための資料収集に長年取り組んできた。
 そして当時の大阪在住の朝鮮人犠牲者の人数については約6000人と推定したが、そのうち本名が判明したのは159人という。調査にあたった人によれば、その犠牲者の名を施設内の銘板に刻むことにしているが、肝心の本名が不明なのだ。
 その原因は明瞭である。1939年に日本の植民地支配下にあった朝鮮半島では「創氏改名令」が施行され、朝鮮人は一人残らず日本の家族制度を取り入れて日本式氏名を名乗ることを強制された。そして日本本土へ渡航した人々もその例外であることを許されなかった。そして日本流の「戸籍」を作ることは許されず、一時滞在者のために設けられていた「寄留者」として届け出ることとされた。その結果、1945年の解放後も日本に在留を続けた人は「外国人」という在留資格で滞在を日本の入管当局から許可される、という立場におかれることとなった。
 したがって日本の行政ではこの空襲犠牲者の本名を知りようがない、ことになっている。名を失うことを強制された5千数百名の人々の霊はその供養も受け入れられない3月14日を迎えている。大阪以外の空襲被爆を受けた大都市も同じ状況だろう。
 その前日の同紙の夕刊は朝鮮奨学会の在日朝鮮人・韓国人の奨学生を対象としたアンケート調査の結果を報じている。それは現在の日本の社会で奨学生(一部に韓国からの留学生を含む)を対象とした実態調査であるが、彼/彼女たちの日常生活における本名使用率は約48%と比較的高いが、約40%が差別的処遇を受けた経験があるという。戦後75年を過ぎても日本人のすぐ隣に存在する民族に対する潜在的差別意識の強烈さにはただただ呆れるほかはない。
 本センターでは在日の子どもたちに対する学校や職場、地域での本名使用が当たり前である社会をつくることをめざした活動を続けているが、あらためてそのことの重要性に気づかされている。その原因はいうまでもなく、本名を名乗ればことあるごとに差別や理由のない偏見の目にさらされるからである。(仲尾宏)