【投稿日】2022年1月14日(金)
1965年、当時の法務省入国参事官であった池上努氏がその著書『法的地位200の質問』(京文社、1965年刊、167ページ)において、外国人は「煮て食おうと焼いて食おうと自由」と言い放った事件があった。これはその後、在日問題に関心を強くもっていた研究者や在日の人権問題に取り組んでいた人びとに取り上げられ、そして当事者である在日の人びとに強い衝撃を与えた。私自身も発言の批判を通りこして、その後長く憤慨していたことを今も明確に覚えている。いやこの事件が私の在日の人権問題にかかわる原点となっていった、と言い換えてもよいかも知れない。昨年、愛知入管局員がウィシュマさんを虐殺にいたらしめた事件は、いまだにあの高官の放言が日本社会に明確に存在していることを示している。ことは入管行政だけではない。
昨年8月、京都のウトロ地区では22歳の日本人青年による放火事件が発生した。その青年は韓国民団愛知県本部にも放火した疑いがある。彼は「朝鮮人が嫌い」と供述しているようだ。12月には韓国民団枚岡支部にハンマーが投げ込まれた。犯行当事者はいまも特定できないまま放置されている。これらはいずれも「無言」による陰湿なテロ行為である。
東京都の武蔵野市では外国籍住民も含めた住民投票条例の市長提案が市議会に上程されたが、なんら根拠のない妄想によってその可決が阻止された。市民の事前意見調査で7割近くが賛成していたにもかかわらずだ。元「在特会」メンバーや自民党の国会議員が武蔵野市に乗り込んで、ヘイトスピーチまがいの阻止運動を行った。そもそも現行の住民基本台帳法や戸籍法も外国籍者に適用されているのである。にもかかわらず地方参政権どころか、住民投票権権すら与えようとしない。これが「国際化・多文化共生」そして「自由・民主」を謳い文句としている日本国家の現実である。
ウィシュマさんの事件で、司法当局は彼女を死に至らしめた入管の官僚たちを早急に刑事犯として罪に問い、入管行政を根本的に改めるべきである。そのことを抜きにして人権行政を語る資格は政府にない。現在のままでは日本の外国人行政は江戸時代の身分差別法令と変わりない。すみやかに現在の入管法を改訂して、さまざまな目的で日本に在留する人びとがいずれも速やかに安心して日本に滞在できる社会にすべきである。
とりわけ、急を要する案件は外国人の在留資格のうち、技能実習という触れ込みで始められた短期間の滞在で転職を認めない在留資格は、当事者にとってきわめて不利益な制度でしかない。このような現行の在留資格制度を根本的に見直し、彼らが日本社会に貢献できるような法制度に組み替えることが早急に求められている。
かつて訪れたことのある「東洋の真珠-スリランカ」の風物と人を想い出しつつ、日本に慣れ、日本語教師を志したウィシュマさんの無念を晴らすことが私たちに求められている責務である。(理事長 仲尾宏)