映画「福田村事件」について 意見書を提出しました - 一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

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映画「福田村事件」について 意見書を提出しました

【投稿日】2023年10月24日(火)

 

太秦株式会社
代表取締役社長 小林 三四郎 様                                           

 

意 見 書

映画「福田村事件」を支持します

しかし劇中およびパンフレット内での差別表現の使用については

丁寧な扱いを求めます 

 

 当センターは、1970年の日立就職差別裁判闘争を契機に発足した「全国民族差別と闘う連絡協議会」を原点とし、民族差別撤廃を志す市民運動とともに在日コリアンの人権啓発・研究に取り組む社団法人です。このたびは、御社が制作・配給されました映画「福田村事件」につきまして、ぜひとも耳を傾けていただきたい案件があり、意見書としてお送りさせていただきました。

関東大震災時朝鮮人・中国人虐殺100年を迎える今年9月1日に封切りされた映画「福田村事件」(森達也監督)は、大変な話題となり、好評を博しています。映画は千葉の福田村(現:野田市)で香川からきた薬の行商人のうち9名(おなかの赤子を入れて10名)が、言葉の訛りから朝鮮人と疑われ、村人によって惨殺されるという内容です。この事件は実際に当時の福田・田中村で発生し、その事実は隠されてきましたが、地元の市民団体などによって真相究明や犠牲者への弔いが行われてきました。

 震災の直後から朝鮮人が「井戸に毒を入れている」「殺人や放火をおこなっている」などのデマが警察などによって拡散され、内務省(当時)からは自警団を組織し、取り締りにあたるよう通達が出され、そして、東京近郊の新聞社は、裏付けをとらず、デマを信じた民衆の言葉をそのまま報道しました。それによって、約6000名の朝鮮人、約750名の中国人、社会主義者などの日本人が軍隊・警察・自警団によって虐殺されたのは周知の事実です。

 日本政府は本件について、「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と虚言を吐き、東京都も本件を否定する対応を取る等、歴史の改ざんが進められようとしています。

 このような状況下にあって、さまざまな制約がある中、本作品を世に出してくれた御社や森監督をはじめとする関係者の皆さまには、深く敬意を表したいと思います。「福田村事件」をつうじて朝鮮人虐殺の事実を風化させず、合わせて大災害などの混乱時に、デマに踊らされ、いわゆる普通の民衆が、「集団の中で邪悪で凶暴で冷酷になり」(森監督)他者を排除する姿は、情報リテラシーが低下し、ヘイトクライムが頻発するなど劣化した現代の日本社会への警鐘となるでしょう。多くの方に鑑賞していただきたいと思います。

 

 しかしながら、劇中にはいくつかの差別表現が使用されていますので、その点にたいしては丁寧な扱いが必要なのではないかと思います。

 特に「鮮人」*という民族差別表現が最も多く、私どもが確認した限りでは劇中やパンフレットには、注釈なく使用されていました。

 当時「鮮人」呼称は、植民地朝鮮の出身者を蔑む表現として、日常的に使用されていました。映画は当時のことを描いているので、そのまま使用することは間違いではありません。逆に「鮮人」といわず、すべて「朝鮮人」としてしまうことは、歴史を歪めることになりかねないと考えます。

 そして、劇中では明らかに朝鮮人を侮蔑する呼称として使用されていますので、御社など制作者側からすれば「鮮人」呼称の背景には朝鮮人差別があり、それは民族差別表現であるということは、鑑賞者には当然理解してもらえるということが前提にあったのではないかと推測します。

 しかしながら、それはあくまで御社など制作者側の感覚であって、鑑賞する側の受け止め方はさまざまです。「鮮人」呼称を聞いたことがない人やその呼称にはどのような背景があり、どのような意図で使われてきたのかなど知らない人も多いのではないでしょうか。ややもすれば、「鮮人」呼称が映画によって認知をえて、一人歩きし、拡散されてしまう可能性も否定できません。 

 そして何よりも、劇中で何度も「鮮人」という呼称を聞くと、自身の差別体験がフィードバックし、辛い気持ちになる在日コリアンも多いと思います。劇中のことだからと、その意図を頭では理解できますが、心が耐えられない状況に追い込まれる方もいるでしょう。

 私たちは、長年、特に出版メディアとともに、民族差別表現にたいする取り組みをすすめてきました。1960年代くらいまでは、さまざまなメディア媒体で民族差別表現が当たり前のように使用されていました。しかし、60年代後半から70年代にかけて、在日コリアン自身の権利意識の向上と民族差別撤廃運動の拡がりの中で、民族差別表現にたいする抗議活動が行われるようになります。1970年に当時『広辞苑』が「鮮人」呼称の説明を「朝鮮人の略」としていたことに対して抗議活動が行われたのがその始まりでした。以後、運動側の猛烈な抗議・糾弾行動に、メディア側は謝罪・回収を繰り返すという状況がつづきました。それが啓発・学習へと変化し、運動側・メディア側がともに民族差別表現と向き合っていくという関係が築かれ、民族差別表現の取り扱いに対するルールをつくってきました。

 それは、まず制作者や編集者などがその民族差別表現がもつ歴史的な背景を学び、当事者の心情などを理解すること。その上で、今回の映画のように使用する必要がある場合は、読者や鑑賞者にその言葉の歴史的背景を説明し、明確に民族差別表現であると示すことです。

 結末の解釈などを読者や鑑賞者に委ねるといった作品をよく観ますが、こと、民族差別表現にかんしては、その判断を読者や鑑賞者に委ねてはいけないと考えます。

 運動団体と出版メディアの共同によって、出版物から「鮮人」などの民族差別表現がほとんど姿を消し、使用される場合は注釈をつけることが一般的となりました。

 ところが昨今、インターネット上やヘイトデモなどで「鮮人」呼称など民族差別表現が復権し、在日コリアンを貶める表現として無自覚に使用されている状況になっています。

 このような状況だからこそ、「鮮人」呼称およびその他の差別表現については、丁寧な扱いが必要であると感じています。

 つきましては、劇中およびパンフレットなどにおいて、丁寧な解説をいれていただくことを検討していただけないかと思い、意見書をお送りさせていただきました。

何とぞご検討いただき、御社のお考えをお聞かせいただければと存じます。
 

*「鮮人」-1910年の韓国併合以前、日本では「大韓帝国人」をその略称として「韓人」と呼んでいたが、併合以降、地域名として改名した「朝鮮」の出身者の略称を「朝人」ではなく「鮮人」と呼ぶようになった。その背景には、植民地朝鮮出身者に対する優越意識と侮蔑の感情があり、また「鮮」が「賤」と読み方が通じるということが、日本人の意識に「鮮人」呼称を定着させることに拍車をかけたと考えられる。明らかな民族差別表現であり、現在では在日コリアンの人権問題にかかわることからその使用には十分な注意が必要。

                              一般社団法人在日コリアン・マイノリティー人権研究センター(KMJ)

                                                       理事長 呉 時 宗